美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

大学同期、逝く

ショックなメールをいただいた。
大学入学時からの友人で、読売新聞記者だった福田淳(まこと)君がくも膜下出血で急逝した、という知らせだった。享年49歳(僕と同い年)。

知らせてくださったのは、福田君の高校時代の友人のWさん。大昔、福田君を交えて飲んだことがあるのを彼が憶えていてくれて、ネットで僕を探し「東大の知り合いの方に知らせてくれ」とDMをくださったのだ。

福田とは1990年4月に「東大文Ⅲ1990年入学3組(中国語選択)」というクラスで一緒になり、お互いのオタクな部分を開陳し合って仲良くなった。僕は彼ほど濃いオタクではなかったが、お互い色々吸収し合えた仲だったと、過去の美化込みで思っている。

ちなみに、mixiで、福田が書いてくれた僕の紹介文は以下の通り。

関係:大学時代の友人

一年生で同じクラスになったばかりのころ、お互いローディスト同士であることに気付いて仲良くなった時点で、その後の関係が決まってしまったような気が(笑)。趣味や嗜好は重ならない部分も多いけど、根っこはとても近いのでは、と勝手に思ってます。アカデミックさとおたくっぽさの絶妙なバランスを保ったスタンスに、憧れつつ尊敬の念を抱いています。

 

 確かに、僕は例えば「プリキュア」シリーズに思い入れもなかったし、彼と本当に「好きな者同士」というオタク会話をした記憶は殆どないが、「他人の好みを尊重しつつ、サブカルチャーのポジションを語る」という会話はずっと楽しんできたはず。

彼はオタクカルチャーに関する記事を、読売新聞という日本一のメジャーな新聞紙上で展開して、瞬く間にその筋では有名になった((福)という署名記事は瞬く間に拡散されたはず)。僕は読売新聞を読んでいなかったのであまり彼の動向は抑えてはいなかったが、彼が取材で京都に来たときには彼のホテルの近くに僕が赴いて飲んだり、時には僕が上京したときに待ち合わせて飲んだりして、大学卒業後も結構頻繁に会っている友人だった。最後に彼と飲んだのは数年前、彼が下落合あたりに住んでいて、高田馬場あたりで待ち合わせて飲んだのが最後か。手帳を見れば分かるかも知れないが、今はその気力が湧かない。

ツイッターで彼の訃報を知らせると、予想以上の反響があり、驚いている。

 このツイートのスレッドにも書いたが「俺」「お前」で遠慮なく語り合える友人を亡くす、というのは年齢の上の方を見送るのとは別の哀しみと苦しみがありますね。

誰かがその「番」に当たることになるわけだが、入学当時、最初に固められた語学クラスの中で、彼が最初の物故者になってしまった・・・。病気だとは言え、どこへも持って行き場のない哀しみを感じ「天道非なり」と叫んでいる。

6月5日、近親者のみとは聞いていたのだが、やはり行きたい気持ちが優ったので、高崎で行われた彼の告別式に参列し、高崎市斎場までお供させてもらい、彼のお骨上げをして帰ってきた。

福田、あの世でもう一度酒を酌み交わそう。もう少し、そっちで待っていてくれ。

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福田淳君の遺影と祭壇

R.I.P.