なんだ、今までやって来たことだよ
知り合いの関わった劇は無事終了。僕同様見に来ていた同僚のS木先生と、元同僚のK藤先生と一緒に京都に戻る(感想は、今度彼女に直接言うつもり)。帰りの電車の中で、S木先生、K藤先生の劇に対する造詣の深さに感動する(さすが)。
お二人と別れた後は夕食を食べ、ブラブラして、読みかけだったこの本を読了。
- 作者: 森岡正博
- 出版社/メーカー: メディアファクトリー
- 発売日: 2008/07/16
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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時々「お前はかつての俺か」と言いたいような言葉もチラホラ。特に僕が悶絶した言葉は、
若いときの私は、好きになった女性を、すぐに理想化して恋い焦がれていた。まるで光り輝く女神であるかのように崇拝していたのである。これは、優しい男が陥りやすい、危険な罠である。いくら素敵な女性だとはいえ、その女性は、当然のことながら、欠点も、弱点も、イヤなところも兼ね備えた、一人の生身の人間なのだ。(pp.137-8)
ついでに、僕が大学時代に座右の書としていた、福永武彦の『草の花 (新潮文庫)』から引用すると、
このわたくしとして、この生きた、血と肉とのあるわたくしとして、愛されたいと思いました。あの方が、わたくしを見ながらなお理想の形の下にわたくしを見ていらっしゃると考えることは、私にはたまらない苦痛でした。(p.248)
そのまんま。布団をかぶるか、タイムマシーンに乗って、当時の僕を殴りつけに行きたくなるな(笑)。また、こういう女性崇拝っていうのは、裏返しの女性蔑視ではないのかとか、ただ単にマゾの自分を満たす道具として女性をとりあえず崇めているだけじゃないのか、とか、そういう余計な自省まで生じて来ちゃって、大変でした。泥沼。
てなわけで、森岡先生を憎からず思っている自分の気持ちの源泉に、ようやく気づいたって感じか。でも、女性から見てどう思われるかって言うのは、また別の問題だよな。内田樹先生がいつもおっしゃるように、女に「君のことをもっと知りたいんだ」というのは愛情表現だが、「君のことは判っているよ」というのは喧嘩を売っている言葉なんだから。森岡先生のは、ギリギリのところで踏ん張っている気がするけど、どうも、その気があるよな。これまた人のことは言えないけどさ。
で、ここから、今お酒も飲んでいるので、思いつきで言うのだが、やはり「姉妹」がいるかどうかっていうのは、草食系になれるかどうかの最初の分岐点だと思うな。そういう生得的な条件も、無視できない気がする。僕の知り合いで、男兄弟3人で生まれ育った(しかも彼は真ん中でお兄さんとも弟とも兄弟喧嘩で鍛えられた、らしい)のがいるのだが、彼を見ていると、失礼ながら「こんなに女心が判らなくて大丈夫か?」とやきもきしたこともしばしば。今はめでたく結婚しているが、結婚前のやりとりの様子を聞いていると「こりゃ別れてもしょうがないかも」とちょっぴり思ったりもしたくらい(笑)。恐らく彼の配偶者は、彼の「女心を判らない」男らしさを愛でているのだろう(二人っきりの時はベタ甘だ、という未確認情報もあるけど)。ついでに思い出したが、以前サークルのある先輩と話していたときに「私は結構フェミニストだと思うけど、マッチョも好きなのよねえ(笑)」と彼女は言っていたが、人は「好きになろうと努力してその人を好きになる」ことはなかなか出来ないんだよなぁ・・・。