美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

「奴隷」の見本

花岡信昭という産経新聞の客員編集委員がいる。完璧な「奴隷」の見本である。「言われてやるのはまだ未完成。言われる前に進んでやるようにし向けられれば、支配の完成」というのが規律権力論の要だが、このオッサンはそれの斜め上まで行ってしまっている。だから「奴隷」という表現にした(奴隷は自分のことを「奴隷」と言われると怒る、と書いたのは誰だったか。魯迅だったか。僕はそれを紹介した竹内好の文章をぼんやり憶えているのだが。あと「奴隷と奴隷の主人は同じ」だとか「奴隷は自分が奴隷であることを忘れている(から奴隷)」というようなことも言っていたと思う。今手元になく確認できぬが)。
花岡なる人物、このところ自分のブログで、沖縄の少女暴行事件に関して、被害者の少女に対する「セカンドレイプ」を「大人の常識」とやらを振り回しつつ垂れ流している、どうしようもないオッサンである。その酷さは、最近のエントリを読めば一目瞭然だが(こういうのを、正しい意味で精神的ブラクラと呼ぶべき)、一言で言えば、妄想全開で「こうあって欲しい被害者像」を捏造し、それに基づいて被害者非難を繰り返している。基地の外の安全な場所からの基地外言説。