美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

家族は「連座」させられるべきか?

秋葉原の例の通り魔事件、あまりの凄惨さに声も出なかった(彼が自分の犯行の言い訳として用意した物語の「あまりの単純さ」及び凶行に及んだ時間の短さにも衝撃を受けた)。連日ワイドショーやニュース番組はこの事件の報道に時間を割いているが、昨晩あるニュース番組を見ていたら、自宅前で「謝罪会見」をさせられている容疑者の両親が写っていて驚いた(さすがに首から下だけを映していたが)。
僕が思ったのは、「親も被害者」だということ(殊に、成人した子供の犯した犯罪だ。保護者の義務もあったものじゃないはず)。このように身内の犯した罪を親族がかぶらなければならない、なんていう「連座」を強いるマスコミの報道姿勢に素直に腹が立つ。被害者の家族・関係者に「今のご心境は?」と訊くことも、加害者(容疑者)の家族・関係者に「何か言うことは」と訊くこと、共に醜悪。