美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

自由なのに服従、自由だから服従

今日は以前買って放っておいた新書をサクッと読む。

自由という服従 (光文社新書)

自由という服従 (光文社新書)

我々は何故あるものに服従してしまうのだろう、という問題をゲーム理論とか合理的選択理論から考えた入門書。
自由なのに権威的なものに服従してしまう心理については、フロムの『自由からの逃走』とかの古典があるが、この本は「それは、服従することがその者にとって合理的な選択になっているから。そもそも選択は自由な意思でおこなわれているのだ」と言うことをある意味しつこく説く本だ、と言えるだろう。
まあ、そうなんだろうけど、僕はどうもこの合理的選択理論とかゲーム理論とかって、肌に合わないんだよな。僕の頭が悪いせいもあるけど、人間て愚行というか、非合理なことも起こすものだし、という考えがどうしても抜けない。別に僕が芸術家肌の人間ってわけじゃないよ。
でも、そういう自分をどこかで感じていたから、進学先も社会学科ではなく、宗教学科にしちゃった、ということはあるかも。慌てて付け加えておくと、宗教学が非合理な学問と言うつもりはないし(当たり前だ)、宗教が常に合理性の向こう側にあるとも思っていません。ただ「近代」という時代は、宗教をそれに反する性質のもの、言ってみればノイズとして排除してきた時代なわけで、社会学も実は、近代において「宗教」という非合理をどう合理的に扱うべきか、という思考が初期からずっとあったんだけどね(ウェーバーやデュルケムのような社会学の鼻祖が宗教社会学に手を出しているのは故無きことではない)。
学生の頭をほぐすのには適当な本だから、課題図書にするのも手かも。