美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

日本人の死生観

恩師である島薗進先生の新刊を読了。先生からご恵送いただく。誠にありがとうございます。一週間以上前に頂いていたのだが、内容が濃く、さっと読み進めることができなかった。

日本人の死生観を読む 明治武士道から「おくりびと」へ (朝日選書)

日本人の死生観を読む 明治武士道から「おくりびと」へ (朝日選書)

タイトルにあるように、この書は近代日本人の死生観を様々な文学作品や映画を始め、過去に書かれた死生観に関する本から読み解いたもの。
無宗教」と言われ、またそれを自認している多くの現代日本人でも、さすがに「死」を前にしたときには、実存的な問題にぶち当たらざるをえない。「宗教とは死に対してある種の解答を与える思想や儀礼」という定義を行った学者もいたくらいだ(少なくとも死や死後の世界に言及しない宗教はない)。つまり、トートロジーめくが、現代日本人の死生観を語るということは、現代日本人の宗教観そのものを語ることと大きく重なる部分があるといえよう。

本書の内容を簡単に振り返ってみよう。
第1章は、大ヒットした映画「おくりびと」を中心に、現代日本人の死生観を検証している。この映画は「教義や宗教組織や悟りの境地などではなく、儀礼や修練された所作にこそ希望をかけている(p.36)」のが判るだろう。そして、死から遠ざけられた近代の我々は、「厳しい死の表象を媒介することで、かろうじて薄くか細い絆への信頼感を呼び戻そうとしている(p.38)」のかも知れない。近代化が死の表象を遠ざけてしまうことは先学の指摘するところだが、それが行き過ぎると、その反動として死の文化を取り戻そうとする動きが、主に医療現場で見られるようになる。その典型例はホスピスである。そのほかにも、著者が指摘するように先端医療(脳死臓器移植など)や自然葬の思想も、「死の文化」の回復の一環といえるだろう。このような我々の態度は、著者の言葉を借りると「宗教は信じないが、良き死には関心がある(p.48)」と表現できるだろう。
第2章は、時代を遡って、日本において「死生観」という言葉を用いて多くの著作を書いた加藤咄堂(とつどう)という人物とその時代背景が取り上げられる。彼は仏教関係の著作を多く書き、その後は国民教化に関する書物を書き、時代に即した「死の受容のあり方」を説くべく、『死生観』(1904年)などの死生観に関する書物を著した人物である。加藤の書が書かれた時代は、「武士道」が称揚された時代でもあり、いわゆる「修養主義」が掲げられた時代でもあった。近代日本の死生観は、明治武士道と歩調を合わせて登場したと言えるだろう(p.80)。
第3章は、藤村操の自殺や志賀直哉の「城の崎にて」など、いわゆる大正の教養主義を担ったインテリたちがそのような死生観を構築していったかを見ている。個人的なことを言うと、僕は中学生の時太宰治にはまっていて、太宰の死の直前のエッセイ「如是我聞」で志賀直哉を痛罵しているのを見て、志賀直哉はそれ以来食わず嫌いでここまで来てしまった。それはともかく、この時代の知識人たちは、読書、宗教体験、芸術体験を通じて内面を形成し、主体性を確立していくが(p.112)、著者はその教養主義的死生観の狭さを指摘している(p.114)。
第4章は、この書物の中では一番「専門的」な部分であろう。一言で言うと、柳田国男折口信夫の死生観・宗教観を扱っており、「日本民俗学説史」という内容なので、この二人の理論を知らないと、なかなか取っつきづらいかも知れない(少なくとも、折口には詳しくない僕は苦労した)。ついでに言うと、島薗先生の修論は折口論。弟子の僕も初めて先生の修論はどのようなものだったか、というのを少し感じることができた。柳田が「常民」をいう概念を提出し、その常民の「宗教」もしくは「霊魂観」というのは、先祖の霊が田(すなわち子孫)を見守る産土神となっている、というもので、「先祖祭祀」のメカニズムを説明したものとして名高い。つまり生者と死者の「隣在性」の指摘といえばいいだろうか(『遠野物語』はその一つの結晶である)。そして、明確な決まりはないにしても、その霊がめぐりめぐってまた生まれ変わるという輪廻転生的な感性が日本人に残っていることの指摘も重要であろう。一方の折口は、僕の知識不足もあるのだが、非常に「ややこしい」。それは、折口自身が「集団の信仰世界にはそのまま入れない懐疑する近代的自意識の位置から、個人として、また新たな時代の信仰として納得できる神のあり方を求めて苦闘する知識人(p.136)」という人だからであろう。ただ彼も、円環的な死生観、永劫回帰的な時間意識は、柳田に距離を取りつつも共有していたが、曲折を経て、『死者の書』(1939年)に見られるように、「古代的なものを憧憬する近代の孤独な自意識」という地点に立ち返っていく(p.161)。「固有信仰」に希望を託した柳田との最大の相違点はここにあるだろう(p.166)。
第5章は、第3章で取り上げられた「教養主義的な死生観」の系譜を引くもので、吉田満の『戦艦大和ノ最後』(1946年)を中心に、死に追いやられた世代(いわゆる戦中派)の死生観を考察している。当然この時代は、第2章で加藤やいわゆる「武士道」論者が言うような「死の受容」が戦争に赴く兵士たちに説かれたのはいうまでもないが、それだけで納得しない若者も当然ながら多く存在した。特に高等教育を受けたものはなおさらである。吉田たちの苦悩は、自分の死が空虚で無意味なものである、という思いをぬぐい去れない、というところにあった。著者は言及していないが、この章を読んで、僕はいわゆる「戦死者の追悼のあり方」も大きな問題だと思った。「死の意味づけ」の問題は生き残った我々の課題なのだから。
最後の第6章では、ガンを患い、闘病の記録を残した、岸本英夫(東大宗教学科教授、つまり学問的な僕の「ご先祖様」のような存在。島薗先生は間接的な孫弟子に当たる)と高見順が取り上げられる。ついでにいうと、岸本の死については、岸本の直弟子であった脇本平也先生も、著書で取り上げている。

死の比較宗教学 (叢書 現代の宗教 3)

死の比較宗教学 (叢書 現代の宗教 3)

岸本は、ガンが発覚する前の論文「生死観四態」において、以下のような分類をしている(p.205)。
1)肉体的生命の存続を希求するもの
2)死後における生命の永存を信ずるもの
3)自己の生命を、それに代わる限りなき生命に托するもの
4)現実の生活の中に永遠の生命を感得するもの
現代人にとって、取っつきやすいのは、3と4の類型であろう。ともに来世の観念を伴わず、現世中心主義であり、信仰も必要ない。高見順は死ぬ間際まで詞を書き続けたが、彼の詩のような、現代人の心の琴線を揺するような詩句や音楽(p.234)は死の道を歩むことを多少なりとも和らげる可能性があるかも知れないと、この書はしめられている。

このように内容は多岐にわたるが、それは「死生観」というものがカバーする領域の広さに比例したものだろう。我々現代人は伝統的な死生観をそのまま鵜呑みにすることはできないが、さりとてそれを完全に放逐することも躊躇っている、というのが実態だろう。著者が言うように、この書は「伝統的死生観から一度は離れ、あらためて自分なりの死生観を組み立てようとした人たち」(p.238)を取り上げている。この書を読む我々も、いざ死と向かい合わせになったとき(自分の死だけではなく、それは家族や親しい人の死という「二人称の死(ジャンケレヴィッチ)」かも知れない)、改めて死生観を否応なく構築しなければならないかも知れない。酷なことだが、「宗教」から離れてしまったということは、そういうことも含むのだろう、というのがこの書を読んだときの第一印象であった。
あと、個人的には、もっと折口をちゃんと読まねばならないと思った。取りあえず『死者の書』買ってくるか(国文学の同僚が、これを一年生に読ませているのを横目に見て「無茶するけど、結構良いことかも」と思ってはいた)。

死者の書・口ぶえ (岩波文庫)

死者の書・口ぶえ (岩波文庫)