美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

恩師の「最終講義」とパーティー


僕の恩師である島薗進先生の最終講義が「日本人の死生観と宗教」と題され、東京大学文学部で開催され、その後「先生を囲む会」が山上会館で、二次会が某イタリアンで開催され、僕は全部出席。というよりも、今回の裏方を仕切っていたのが、同期のT澤だったせいで、彼女にお願いされる形で「カメラマン」「プロジェクター、スクリーンの運搬」「余興担当」と、わざわざ京都から来た「お客さん」のはずなのに働かされる羽目になったが、大恩ある指導教官のためなら、これくらいの骨折りは何でもない、というか悦んでやらせていただいた。最終講義の内容は、小林一茶の句に見る宗教性、死生観というもの。先生が去年に出され、僕も簡単に要約した書籍を踏まえた内容だったと考えて良かろう。前著では一茶は取り上げられていなかったが、今日のお話を聞くと、なるほど一茶の人口に膾炙した有名な句からも色々と読み取れるし、また真宗門徒だったが、それをあまり前面に押し出すこともなかった彼の句からにじみ出る宗教性(例えば「活て居る人をかぞへて花見哉」「涼風はあなた任せぞ墓の松」という句を見よ)は、現代人の宗教性のあり方とつながっていくと僕個人は思った。恐らくこの最終講義はいずれどこかで表に出るでしょうから、僕の野暮な要約はこれくらいにしておく。終わった直後、同期で現在脚本家のM下と、一個下で現在某出版社勤めのアッコちゃん(仮名)と久々に逢って談笑。二人が言うには「島薗先生の講義ってこんなのだったっけ?久々すぎて不思議な感覚」「こういう講義を聴くと、いかに自分が日頃目の前のものしか見ていないかが実感される」「でも、こういうのもやっぱり重要よね」と言っていた。そりゃ、君たちだって20年前、文学部の中でもドマイナーなこの学科選んだ人間なんだから、今更現実主義者のふりするのはなしだぜ(笑)。
最終講義の後は、大学構内の山上会館で「島薗先生を囲む会」と題されたパーティー。およそ150名ほどの人が参加。先生の恩師でもある田丸徳善先生をはじめ、大御所の先生方がスピーチ。そこで僕と同期のT澤、K沢、一個上のO久保さんの4名が中心となって、パワーポイントで一種の「紙芝居(島薗先生を三蔵法師に見立てた西遊記のパロディ)」をするという余興を、リハーサルなりのぶっつけ本番でやることに。冷汗三斗だったが、何とか受けて一安心。
二次会は本郷の先にある某イタリアンで、宗教学科の面々だけの小さな集まり、のはずが、先生も四半世紀東大にお勤めだったので、弟子・教え子の数は多いので店がいっぱいに。僕も会うのが十数年ぶりの先輩、後輩などとも談笑。
4月から新しい職場に移られ、まだまだご活躍なさるご予定なので、「退官」とか「引退」なんて事はみじんも浮かばないのだが、定型句だが、先生の益々のご研究の進展とご健勝を祈らずにはいられない。不肖の弟子たる我々をこれからもお導きください。