美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

キリシタンと殉教

電車の中で、以下の本を読了。

殉教 日本人は何を信仰したか (光文社新書)

殉教 日本人は何を信仰したか (光文社新書)

まずは改めて当時の「殉教熱」と拷問の凄まじさに戦慄。この本を読んで、僕が不勉強だったのでびっくりしたのが、当時のキリシタンは、殉教した人の衣服や肉体の一部を「聖遺物」としてもの凄くありがたがった、ということ(死刑になった殉教者の遺体にみんなが群がり役人が追い返すほどだったそうな)。そういうmagicalな部分もキリシタンには大きいらしい。山本先生によると、当時の死を慫慂と受け入れるような「武士的メンタリティ」と「殉教こそ栄光」という宣教師の志が一体となっての「殉教熱」ではないかとのこと。
あと、「島原の乱」についても「そうなの?」とびっくりする見解が。要するに、今まではあの反乱は当時の領主の苛斂誅求が引き金になったと一般に言われてきたが、それよりも天草四郎を中心とする異端的千年王国運動の一種と見た方がいい、というのだ(pp.221-232)。今まで反抗もせず、殉教し続けてきたキリシタンがこのような反乱を起こすには、何らかの「一線」を超えねばならぬ、というのは判るが、この問題はもう少し他の本も読んで考えたいところ。そこで帰り道で、以下の本を購入。
キリシタン禁制と民衆の宗教 (日本史リブレット)

キリシタン禁制と民衆の宗教 (日本史リブレット)

ヨーロッパ文化と日本文化 (岩波文庫)

ヨーロッパ文化と日本文化 (岩波文庫)