美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

日本史研究会へ

今日は京大で行われた「日本史研究会」の近現代支部会に参加。発表がともに興味深かったからだ(ちなみに僕はこの学会の会員ではない)。

[第三会場] 近現代史部会  法経第7教室(報告:10:00〜 討論:14:00〜17:00)
近現代:「戦前日本社会における現代化と宗教ナショナリズムの形成」 畔上直樹
    「天皇制と現代化」                  河西秀哉

畔上さんとは以前に書評会でご一緒してからの知り合いで、河西さんとはネット上でご挨拶する仲(今日初めてリアルでお目にかかった)。お二人の出された本は以下のもの(僕は当然両方持っている)。

「村の鎮守」と戦前日本 「国家神道」の地域社会史

「村の鎮守」と戦前日本 「国家神道」の地域社会史

「象徴天皇」の戦後史 (講談社選書メチエ)

「象徴天皇」の戦後史 (講談社選書メチエ)

発表だが、とにかく長くて濃い。歴史系の学会では時折こういう形態が見られるが、せいぜい一人30分程度の発表が普通である宗教学・社会学系の人間にとってはそれだけで参っちゃう(体力なくてすみません)。
議論は錯綜して僕の整理できるようなものでは到底ないが、特に畔上さんのミクロな地点から「国家神道」の痕跡を見いだす、という作業を拝聴して、「やっぱ僕はマクロなことを言いたがる宗教学の人間なんだなあ」という自意識を確認することとなった(要するに僕はお師匠さんの忠実な弟子、ということなんだけど)。河西さんの発表では、フロアからもそういう発言が出たのだが、ついつい久野収鶴見俊輔が唱えた「顕教密教」のアナロジーが頭をかすめた。
現代日本の思想―その五つの渦 (岩波新書 青版 257)

現代日本の思想―その五つの渦 (岩波新書 青版 257)

要するに、戦前と戦後の天皇制の「連続性」を仮に想定するならば、顕教は大転換したが、密教はしぶとくその一貫性を保ち・・・とつい考えてしまいたくなるということ。果たしてそうかどうかは再考を要するが。
その後は懇親会と二次会にしっかり出席。発表者のお二人とも、若手の近現代史の皆さん(だいたいが初対面)とも話せて有意義だった。とにかくネット中継までされてしまった発表者のお二人、本当にお疲れ様でした。ゆっくり休んでください。