美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

「見栄」と「理想我」としての本棚

旅行中、飛行機の中で読み終えたのは内田樹先生のこの本。

街場のメディア論 (光文社新書)

街場のメディア論 (光文社新書)

相変わらず面白いのだが、一番僕が得心したのは、電子書籍と本棚に関しての見解(第6章)。要するに、本棚というのは「他人にこのような本を読んでいる(本当は読んでないんだけど)人として見られたいという見栄があらわになる」アイテムであるのと同時に、「このような本をいつかは読むぞ」という自分に対する叱咤の機能も持っている、というくだり。これが電子書籍にはできないところだ、というのが内田先生の意見。僕の研究室の本棚なんて、まさにこれだよね〜。僕の研究室にある本は、恥ずかしいことだけど、8割は読んでないんじゃないかな。でも、開き直っていうと、蔵書の半分以上を読んでいる、と豪語できる研究者は天才か、よほど暇か、関心領域が狭すぎるだけだと思う。
電子書籍に関して、目が疲れるとか付箋が貼れない、線が引けない、美しい装丁の本に対するフェティッシュが満たせないというのも僕個人にとってはマイナス要素だが、本質的には内田先生の問題に行き当たると思う。やはり「書類」と「本」は違うものだという感覚が僕にはあって、電子書籍は、本を書類扱いしているので、何となく気に食わなかったんだよね(絶版本や稀覯本を読めるようになる、というメリットは重々承知だが、本棚を形成できない、というのはやはりデメリットだろう)。やはりロマンティストの僕は、ベンヤミンではないが、本に漂う一回性のアウラというものをどこかで信じているのだな。