美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

判っちゃいるけどなかなか・・・

今日は、院ゼミの予習として以下の本を読む。僕のお師匠様のお一人の本。

植民地期朝鮮の知識人と民衆-植民地近代性論批判-

植民地期朝鮮の知識人と民衆-植民地近代性論批判-

この本のもとになった各論文は掲載雑誌や単行本で読んだり、いくつかは先生ご自身から抜き刷りを頂いたりしているので、僕にとっては「復習」ということになるのだが、いやあ、先生も審査員のお一人だった僕の博論口頭試問をまた思い出しちゃいましたよ。要するに、僕の分析対象の幅の「狭さ」を指摘されたのだが(ちゃんとした言説を残している知識人に偏っちゃったんだよね。「知識社会学」とか、そういう言葉でごまかそうとしたんだけど)。
実は、教団が出していた雑誌の「信者の声」とかも分析したかったんだけど、量が膨大だし、決まった「話形」に収まるのが多くて、途中で投げ出しちゃったんだよね(ここでもうちょっと踏ん張れば、女性の声も拾えたんだろうな)。
あと、当時の新聞も全然見れていない、とか、自分の研究の欠点をもう一度自覚する羽目になっちゃいました。やれやれ。