美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

社会参加仏教

今日は研究室で、以下の本を斜め読み(関係ある部分だけ、ざっと)。

現代と仏教―いま、仏教が問うもの、問われるもの

現代と仏教―いま、仏教が問うもの、問われるもの

社会をつくる仏教―エンゲイジド・ブッディズム

社会をつくる仏教―エンゲイジド・ブッディズム

日本の社会参加仏教―法音寺と立正佼成会の社会活動と社会倫理

日本の社会参加仏教―法音寺と立正佼成会の社会活動と社会倫理

要するに、社会に何らかの形で関わろうとする(エンゲージしようとする)仏教の動向をざっとおさらいしておきたかったのだ。
既存宗派は葬式仏教と揶揄されて久しいが(もちろん、葬儀も重要な儀礼だし、葬儀をチャンネルに色々試みようとする人も存在する)、仏教は葬式だけして他は人任せ、という実情に飽き足りない人も多くいる。僕が主に調べようとしているのは、戦後日本における仏教徒による反戦平和運動について(9月にそれについて簡単な学会発表をしようと思っているので)。
もともと、ヴェトナム戦争時に反戦平和活動に邁進した仏教をengaged Buddhismと呼ぶが(その運動の中心人物であったティック・ナット・ハン師が自らそう名付けた)、今では幅広く社会問題に取り組んでいこうとする仏教をこの語で指すことが多い。
大宗派にもなると、図体の大きさが災いして、なかなか動きが取れないんだよね(例えば、大逆事件連座した僧侶の名誉回復が図られたのは、何と1990年代に入ってから!)。僕は宗外の人間だが(実家の宗派は真宗大谷派だけど)、そういうのを少し残念に思っている。
今後見守っていきたいのは、例えば「脳死臓器移植法」の改訂に対する宗派としての声明とかかな(連合体の日本宗教連盟から合同声明が出たが、これはある意味例外的に早めの声明が出たと思う)。