美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

「進歩」はあったか

来週の院ゼミに備えて、今日は家で本を読みつつ休息。

日本社会の家族的構成 (岩波現代文庫―学術)

日本社会の家族的構成 (岩波現代文庫―学術)

この文庫に入っている論考は終戦直後の「使命感(いってみれば「革命」を起こさねば、という)」に溢れたものなわけだが、あからさまな家父長制は民法の改正でなくなったといっても(社会的な制度としては、勿論今だって残存しているのはいうまでもない。まあ、核家族化で昔ほどの縛りがない、というだけ)、一体六十数年前からどれだけ我々は進歩したんだろうね、と思ってしまうよな。家族制度はともかく、

一切の自主的な批判・反省を許さぬという社会規範、ことばをかえていうならば、「ことあげ」することを禁ずる社会的規範、としてあらわれる。「ことあげ」によって、反省や批判によって、この権威主義的ないしなれあい的な秩序や平和が害されるのを恐れるからである。(p.21)

なんて言葉を見るとどきっとする。
一番の問題は「我々はすでに進歩してしまっている」という雰囲気が広がっており、「今更進歩だなんて」というシニシズムも広がっていることだろうな。全然そんなことないのにね。
川島先生は血縁的家族の縛りもさることながら、「親分・子分」のような擬制的家族関係を重視して、それをも覆さねば、といっているのだが、話は飛ぶけど、宗教的な組織(聖職者集団)も、まあいってみれば擬制的家族集団だよな。カトリックだと、それぞれ「Father, Mother, Brother, Sister」だもんな。「出家」して新たな「家族」を作るわけだよな。だからどうって事じゃないんですけど、思いついただけです。