美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

語学の才能の無さ

人に言われる前に言ってしまうけど、僕は語学の才能がない方だと思う。文学部教員として情けないけど、事実なんだからしょうがない。そもそも遡れば、大学に入学したとき第二外国語に中国語を選んだのも、英語が苦手な僕が他のヨーロッパ言語をやれるはずがない、という気持ちからだったし。
実は一昨日、ヨーロッパのある国の大学教員から「9月にアジアの仏教に関する国際学会をこちらで開くので、あなたも発表しに来ませんか(できれば英語で。どうしてもダメなら翻訳って手もあるけど)」というメールを突然いただいて(本当に突然でビックリ。ルートは僕の指導教官なのだけど)、そのお返事を書くのに、今日の午後はつぶれた。英語で数行書くだけなのにね。和英辞書使いまくり(でも、正しいかどうか怪しい)。
書いたお返事の概要は「僕もその大会テーマに大変興味を持っているんだけど、今はネタがないから新しく色々資料を集めなくちゃいけないと思います。ということで、もうちょっと考える時間をください。そして事前申し込みの〆切を教えて」というもの。「それから逆算してできそうだったら、考えます」ということを行間ににじませつつ・・・。
メールくれた教授は生まれはロシア、そして韓国にも住んでいて、専門は韓国の仏教で、日本語は読むことはできると書いてあった(それでヨーロッパの某国の大学教員)。こういう語学の天才を見ると、本当に「頭の構造が違うなあ」と思わざるを得なくなり、萎縮してしまう。