「講義ノート」を読む
今日はこの本をすごい流し読みでだが読了。時々参加させてもらっている、同僚のK林ゼミでの課題図書なので。
- 作者: 水林彪
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2006/10/27
- メディア: 単行本
- クリック: 4回
- この商品を含むブログ (8件) を見る
M1のとき、先生の『封建制の再編と日本的社会の確立 (日本通史)』という江戸時代通史を読んだときも「独りでこんなのを書くなんて」と呆れたが(黒住眞先生の近世思想史のゼミで読まされた)、ものすごい筆力であることは変わりなし。
でも、一番気になったのは、学者の名前を出すとき、ほとんどが「〜氏」なのに、石母田正と丸山眞男だけが呼び捨てだったこと。最初は「死んだ人だからかな」と思っていたら「宮崎市定氏」と書いていたりするし、どうでも良いことだけど、気になってしょうがない(笑)。まあ、学者は、呼び捨ての方が敬意を表している、という場合もあるけどね。
僕として一番面白かったのが、第6章第5節の「天皇=宗教的権威説批判」という部分(pp.280-286)。僕が属する宗教学なんかはある意味典型的だが、天皇を「宗教的権威」と見なすという習慣があるわけだが、「応仁の乱以降なんかほとんどの祭祀が途絶しているっていうのに、それは無理あるんじゃないの(大意)」というのが水林先生の意見。これはいわゆる「卵と鶏」の関係で「宗教的権威だから、官職などを与えていたのだ」というのではなく「官職の(権力秩序の法的な)正当性を担保するために宗教性が召喚されたのではないか」というのが水林先生の見立て、といえるかと思う。このあたりはそうかもなあ、と思ってしまった。