美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

実存と学問

大袈裟なタイトル付けちゃったけど、今日、地震のニュースやサッカーを横目に読んでいたのはこの本。

ユリイカ2007年6月臨時増刊号 総特集=腐女子マンガ大系

ユリイカ2007年6月臨時増刊号 総特集=腐女子マンガ大系

まだ全部は読んでいないけど、ちょっと一人一人の論考が短くて、掘り下げられていなかったのは不満だなあ。面白そうな思いつきがあるけど、「それってどういう事?」と思っているうちに「以下次号」のように終わっているのが多すぎて、ちょっと消化不良(特に溝口彰子さんの、「BLとレズビアニズムとの接合」というアクロバティックな考察は興味深かったんだけど、僕にはちょっと判りかねた)。
でも、若手研究者に「あんた達、頑張りなさいよ」とエールを送っているだけなのに、上野千鶴子先生のエッセイは上手いとも思った。こりゃ年の功だね。伊藤剛さんのは僕と同世代、しかもイギリスのニューウェーヴを聴いていたという共通点(僕もThe Smithsに入れあげていました)もあって、思い当たる節が多すぎてちょっと悶絶した(笑)。

あと、自分自身がBLの愛好者、というか、「それを消費することでようやくここまで生きてこられた」というような実存を懸けているような人も少しいて、こういうのって栗本薫からのある意味「伝統」なのかな、と意地悪な僕はちょっと考えてしまった。学問と実存、結構難しいんだよね。あまりに実存を懸けているとバランスが悪くなるし、盲目的なまでの情熱でもって打ち込めない研究もつまんなかったりするから、要はバランスというしょーもない結論になってしまうのだが。文学研究なんかでは良く「2番目に好きな作家を研究しろ」なんて言われたこともあるそうだけど。

さて、ちょっと年寄りの思い出話になるけど、石田仁さんという人の論考(雑誌に現れた「ゲイ表象」の問題についてのもの)を読んで思いだしたのだが、僕が80年代の終わりに読んでいた『月刊OUT』というアニメ兼投稿雑誌でも既に、様々な作品がやおいのネタとして消費され、それをメタにおもしろがる態度が表明されていた(代表的なものだと、『キャプテン翼』とか『サムライトルーパー』とか『聖闘士星矢』とかが元ネタのパロディ)。恐らく、同時期の『ファンロード』も同様だろう(『OUT』よりは上品だったはずだが。そういう棲み分けをしていたので)。
そういう投稿が繰り返されているうちにちょっとした誌上論争になった。「やおいの描き方は現実のゲイ、ホモセクシャルの人に対して大変失礼(これは女性の投稿だった)」とか「君たち、男の体の構造とかちゃんと判ってるの?(これは男性から)」というような質問があり、星矢ネタで良く載っていたある常連投稿者は「よく判った上で、敢えて無視しています」という回答を与えていたと記憶している。石田さんの論考は、上記のようなものを僕に思い出させた。