美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

何でもかんでも「権力」という言葉でまとめない節度

今日は大学に行く気を無くし、洗濯をしつつ持って帰ってきた本をちょびちょび読む。

暴力の地平を超えて―歴史学からの挑戦

暴力の地平を超えて―歴史学からの挑戦

編者の趙景達先生の論文(「暴力と公論―植民地朝鮮における民衆の暴力」)を読んで、これまた深く頷かされるところがあった。
先生の論旨を僕なりに要約すると、

  1. 文字も読めなかった民衆の暴動や暴力に、実は「朝鮮独自の作法」というものが仄見えてくる(翻って言えば、日本のやり方を内面化していたのは、一部のインテリのみ。朝鮮的作法に「殉じた」知識人も勿論いた)。
  2. 最近の植民地研究は、インテリの言葉ばかり追いかけて(それも意義があるんだけど)、口で言うほどその時代に生きていた民衆に目を向けてはいない。
  3. 民衆の日常生活のあちこちにも「植民地権力」が侵入している、という流行の学説(要するに「規律権力論」に基づいた見方)は、植民地権力を批判しているようでいて却って「植民地権力万能主義」に陥ってはいないか。

というようなこと。乱暴な要約なので、詳しくは本文に当たられたいが、どれもこれも僕などにとっては耳の痛い話である。まず、僕が追いかけてきたのは、まさに日本のやり方を内面化した朝鮮人インテリ達の「思想史(history of thoughtというよりhistory of intellectuals)」と、帝国の論理を押し出してきた日本人インテリ達ばかりだからだ(僕は時には「知識社会学」という言葉を用いてきたけど、内実はそういう事だ)。三つ目の事なんか、いわゆるカルスタ的な研究が陥りがちなものだと思う。最後に「それも一種の〈権力〉の表れだったのだ」とでも言えば、体裁が整うからね。僕もやりました。済みませんとしか言いようがない。
今、論文のリライトをしていて、「ネタ本」を慌てて読み込んでいるわけだが「僕、一応この辺りの問題点は判っているんですけどね」という姿勢を取って許しを請うしかないな。