美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

今でも通じそう・・・

昨日からの続きで、国家神道をめぐる本を読んでいる。

個人の創造性の涵養・個性の開発などを事とする教育は、動(やや)もすれば個人に偏し個人の恣意に流れ、延(ひ)いては自由放任の教育に陥り、我が国教育の本質に適(かな)はざるものとなり易い。(文部省編『国体の本義』1937年)

上記の台詞なんか、現在の教育再生なんちゃらが言ってもおかしくなさそうで、怖いぜ。戦時中のテンプレ文章がリアリティを持つ時代が、現在なのだ。で、この文章を引用していた本はこれ。

国家神道と民衆宗教 (歴史文化セレクション)

国家神道と民衆宗教 (歴史文化セレクション)

村上重良の代表作。昨日取り上げた子安先生とか、村上先生とかが「広義の国家神道」の代表的論者なわけだが、確かに、解説で島薗進先生が述べているように神社神道の役割を誇大視している点は否めないけど、産湯と一緒に赤子を捨てるような真似も早計だろう。広義の国家神道という枠組みを「鍛え直す」必要があるだろう。
というわけで、やっぱり僕はお師匠さんと意見を同じくするなあ、と再確認。