美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

分祀すりゃいいってものじゃない

さて、昭和天皇靖国に参拝しなくなったのはA級戦犯合祀のせい、というスクープが様々な方面に波紋を拡げているわけだが、これは秦郁彦氏も言うように「それまで言われていた定説(めいた噂)が補強された」と見るべきだろう。だから、正直「衝撃」というようなことはなかった。僕ですら昭和天皇の不参拝の理由として、既にどこかで目にしていたからね。
でも、じゃあ分祀すれば、って話も短絡的。
天皇がどう言ったかが問題ではなく、「遊就館」とかに代表されるような、靖国が持つ「歴史観」をもう一度考えねばならない。まあ、天皇を経由して靖国に参る人間、もしくはA級戦犯が合祀されているから参拝するなんて、ごく少数派だということも承知しているが、このスクープは一定の「掣肘力」を保守派に対して持つであろうから、この話が広まることを僕は良いことだと思っている。
天皇抜きのナショナリズム、という問題は、大塚英志小谷野敦両氏もたびたび口にしていたと思うが、今回の報道は、図らずも我々が未だにどれだけ深く天皇制に絡め取られているか、というのをある意味白日の下にさらしたものといえるだろう。
今回、このスクープで「はしゃぐ」のは差し控えたいところだが、相手の論理を逆手にとって逆襲、というのは議論で良くなされる「手」だから、僕も使わせていただく。