美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

全てを「しろしめす」とは

今日も体調がいまいちなので、家で大人しく読書。昨日の晩から読み始め、今日の夕方読了。

畏るべき昭和天皇

畏るべき昭和天皇

このところ、昭和天皇「伝説」をやたら書いているように見える松本健一さんだが、今回のこの本も面白く読めた(やはり松本氏の文章は陰影がなくて読みやすい)。例の富田メモは信用するに足る、と断言する部分なんかは、あのメモで右往左往している凡百の保守派の連中と松本さんとの一線を画する部分だろう(そういえば、富田メモを書いた富田朝彦氏を巡る内田樹先生の高校時代の思い出話は、まるで一編の短編小説みたいで格好良かったよなあ)。
僕自身は、松本さんほど「天皇制」に対しての「愛情」はないが(とはいえ、都知事大阪府知事の様子を見ていると、日本が大統領制でなくて良かった、と少し思わなくもない)、昭和天皇の「畏るべき」部分はなるほど、と思い、それに引き替え東条英機近衛文麿の「政治家」としてのダメダメさ加減には(これは松本さんの思い入れに僕が引きずられているだろうけど)愛想が尽きた。
本書を貫くモチーフは、松本さんのちょっと過大評価もあるかも知れないけど、昭和天皇の「全てをしろしめす」能力への畏敬の念である(タイトル見れば判るわけだが)。例えば、東条が陸軍大臣になって、悪名高い「戦陣訓(生きて虜囚の辱めを受けず、っていうあれだ)」なんぞを出して急激に軍隊の精神状況が内向きになり硬直化していく流れの中でも、結構色々東条や近衛や側近に注文をつけているエピソード(立憲君主制の建前を守りながら)などは素直に感心。ただ、「昭和天皇だけが判っていた」という意見には同調しかねるけど(勿論松本さんの言いたいのは、政府の中枢で唯一、ということなのだが)。
でも一番ビックリしたのは、本書の最後に出てくるエピソードだが、血盟団の菱沼五郎が出獄後、木幡五朗と名を変え、戦後は茨城県会議長まで務め、国体の開会式で天皇の横に立っていた、という話(pp.302-5)。