美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

「すっきりしないこと」が大事

昨日本屋で色々物色していたら、例の「嫌韓流」の解説本のようなものが出ていたので少し立ち読み。あ、これだ↓。
嫌韓流 実践ハンドブック 反日妄言撃退マニュアル
パラパラ見たけど(胸くそ悪くなって、数ページで止めたけど)、ディベート形式で「白黒つけましょう」という姿勢を貫いているわけだが、この姿勢こそが怪しいと思わねばならない。ディベートでは「あなたはこう言いましたね」と相手の議論を単純化させて、矛盾をついたり例外を提示してやりこめるという手法が採られがちだけど、そういうのって、端的にアンフェアだよね。
あのね、歴史ってそんな単純なものじゃないんだよ。一つの歴史的事象も、立場が変われば全然違うものに見えるっていうのは、嫌ほど実感していることでしょ?そもそも『嫌韓流』的思考の最大の矛盾は、「一方的な押しつけられた歴史観はイヤだ」「今までマスコミとかに色々と僕らは一方的に騙されてたんだ」という当の本人が、別の一方的な歴史観を押しつけていてアウフヘーベンしていないことにあるんだけど。
例えば原爆にしたって「大量虐殺だ」という声もあれば「戦争を早く終わらせた功労者」という見方もあって、後者の考えに結構多くの日本人は悔しい思いをしたわけじゃない?もし君が二ヶ国間を鳥瞰するような大きいことを言いたいなら、自分の出身国の立場も一旦離れてものを考えなくちゃいけない。そして、過去の歴史をふり返るときは、例えば当時の「列強」の立場も一旦離れて「植民地側」から同じ事象を見つめてみてはどうかな?
「すっきりしたい」のは、気持ちとしては判る。でも、同じ事をされても文句を言わないくらいの覚悟があるかどうか、一度自分の胸に聞いてみるといい。僕はすっきりされたくはないから、こっちもすっきりした態度はとらないように心がけたいと思う。まあ、現実に存在もしない「脳内仮想敵」をやっつけてすっきりするような自慰的なことは、僕は恥ずかしくてできないけど。