美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

「教誨師」を見る

今日は朝から、大杉漣さんの最後の映画となった「教誨師」を出町座まで見に行く。朝っぱらからこんな重たいものを流してどうするつもりだ、出町座、と思ったが、レイトショーでもどんよりした気持ちで帰らざるを得ないから、どっちにしても同じだよな、と思い直す。


『教誨師』予告

物語の筋としては単純で、大杉漣演じる牧師の教誨師が、6人の個性的な死刑囚と対話を重ねて、互いに変化していく、というもの。ただ、この密室劇は、テーマがテーマなだけに、教誨師にシンクロせざるを得ない観客にとってはなかなかつらいのも事実。最近「傾聴活動」というのが宗教者の間でよく語られるが、この映画はその「しんどさ」を追体験できる映画であるともいえるだろう。

密室劇であるから、必然的に会話が中心となるわけだが、皆さん演技力がすごく、その点は全く飽きさせない作りとなっている。

6人の死刑囚がそれぞれどんな背景を持っているかがその中で明らかにされるが(最後まで明らかにされない死刑囚もいる)、常に教誨師は「自分の言葉は果たして彼らに届いているのか」「彼らのために自分は役に立っているのか」を自問自答せざるを得ず、宗教者の無力さがこれでもかと描かれている。ともすれば文字通り「説教」くさくなりそうなテーマを単なる「救い」というゴールに向かって進むような陳腐なものにはしていない。特に、現実の死刑囚をモデルにしたであろう大量殺人者の「高宮」、ストーカー殺人をしたとおぼしい「鈴木」との「対話の不可能性」を突きつけられるシーンはやはりこの映画の見所といえるだろう。

そしてある死刑囚は教誨師に「こんなのやってて、虚しくならないのか」と疑問を突きつける。それに対する答えは映画を見ていただくほかはないが、僕にとってはその「答え」がこの映画の最も重要なメッセージだったと思う。

 なお、僕も以前に読んだ堀川惠子さんの『教誨師』という本は、主人公は僧侶だが、この映画同様、死刑囚と向き合うとはどういうことかを教えてくれる佳作である。

教誨師 (講談社文庫)

教誨師 (講談社文庫)