「隠れたカリキュラム」問題
「隠れたカリキュラム」問題といえば、ジェンダーバイアスが教育現場で知らず知らず吹き込まれている、ということが真っ先に思い浮かぶが、この本は国語教育がまさしく「道徳」と化していることを教科書の分析から説いたもの。今朝、通勤電車の中で読了。
- 作者: 石原千秋
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2005/10/04
- メディア: 新書
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では、押しつけがましい道徳の代わりに何を教えられるのか、というと、これがけっこう難しい。国語教育って大変だ。
話は変わるが、最近、宗教教育をもっとやろうぜ、というようなノリがそこかしこに見られる(僕もお隣の韓国の状況を少し調べたことがある)。僕は、宗教に関する知識を伝授する「宗教情報教育」は進める必要があると思うが(高校、大学からで良いとは思っているけど)、若者の性根をたたき直したいと思っているような人がやりたがっている「宗教情操教育」なんかは無理だと思う。大体、具体的にどうするの。
宗教教育や「心のノート」の場合、隠れたものにもないから批判もしやすいけど、国語のような「隠れたカリキュラム」の批判は難しいよなあ、と改めて感じた。