どのように行われたか、よりどのように受けとめられていたか
クーラーの止まった研究室で、読みかけの以下の本を読了。大分前に買っていて、忘れていたけど、明治期の宗教史についての講義を行っている関係で、慌てて読む。
- 作者: 山口輝臣
- 出版社/メーカー: 吉川弘文館
- 発売日: 2005/01/01
- メディア: 単行本
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つまり広義の「国家神道システム」をどうしても考えてしまうので、山口さんがこれまで行ってきているような施政者の思惑や政策を中心に考えるより(伊藤博文が「神道、使えねえ」といっていたなんていうことは前著『明治国家と宗教』でも書かれていたと思う)、それが民衆側に「どう受けとめられていたか」という方を考えてしまうのだ(重視するポイントが違うだけ、といわれればそれまでだが)。
というわけで、
国家が、神社を優遇するために、神社は宗教ではないという「まやかし」の論理を作り上げたとまで断言するならば、明確な誤りといって差し支えない(p.52)
という言い方に引っかかりを感じてしまうのだ。確かに、村上説のようにあれもこれも全て「国家神道」としてまとめるのは乱暴な議論である、というのは既に学界の総意に近いものがあるが(僕も時期区分の問題も含めて、もっと分節化すべきと思う)、「神社非宗教説」というのが当時の宗教界を縛っていた考えであったことは否定できないであろう(神社側にしても、自由な「宗教的活動」ができなくて、窮状を訴えたりしているくらいだ)。また、当時弾圧された新宗教(例えば天理教などが分かり易い例か)の立場にしてみれば、「弾圧されない」だけでも、「えこひいき」だと思うけどなあ。
神社の優遇というのが実は殆ど無かった、というのはこのところの実証研究が明らかにしているところであるが(神社に対する国費からの支出は年を追うごとに減らされていくし、南方熊楠や柳田国男の神社合祀反対運動と対立したのは、まさに内務省神社局の官僚達だったわけだし)、相対的に「優遇」されていた事実は揺るがないんじゃないの、というのが今のところの僕の見解。
あと、「宗教」という近代に発明された概念の中に「神道」はまだ明治時代頃には入っていなかった(だから神道が宗教ではない、というのは何ら奇異な言い方ではなかった)、ということも書いてある(p.60)が、これもちょっと疑問。明治初期の宗教政策を見ても、神道はその時まさに仏教やキリスト教に対抗できるものとして政府のテコ入れで立ち上げられたわけだし、神道は浄土真宗やキリシタンのような「宗教側」から後生の助けにならない「亜宗教」というようなものとして見られていたのではなかったか?要するに明治初期には神道も既に人々の頭の中で「宗教」という箱の中に入れられてはいなかったか、という疑問だ(箱という表現を使ったが、言葉の意味なんて元々グラデーションなんだから、こういう喩え自体に無理があるけど)。
というわけで、前著を読んだときと同じような読後感を持ってしまった。「この人とは興味の対象が違うんだな」と(良いか悪いかとか、歴史学と宗教学の違い、とは言わないけど)。