美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

教え子から教わる

昨日のエントリのコメント欄に、自分の師弟関係の思い出話を少し書いてしまったが、僕が師匠のS先生から教わって、今実際に意識してやっていることと言えば、教え子から色んな情報を聞いて耳学問させてもらう、という姿勢だ。だから学部ゼミでも、「自分の好きなことを調べなさい」と自由放任主義を貫いている(こういう事が許されるのは、ある程度以上の大学の贅沢さだとも分かっているけど)。
S先生は自分の論文のゲラを我々院生に読ませて意見を聞いてからまた書き直す、というようなこともするほど教え子の声をよく聞く人だったが、何よりも好んだのは、学生達がそれぞれのフィールドで得てきた、いささかマニアックな知識をゼミの討論で披露することだった(と思う)。先生の論文を見ると「これは僕や先輩の修論とかを読んで得た知識を活用しておられるな」とほくそ笑むような部分があったりしたものだ。
師匠の学識を継承できたかはともかく、この気風だけは僕も継承して、ゼミにおける自由発表もレポートも、僕の知らない分野で且つ僕を面白がらせてくれれば大体「優」をあげてきた。逆に言うと、参考文献の全てを僕が読んだことのあるような発表(つまり僕の専門に近いようなことをした者)に対しては、自然と点が辛くなってしまうきらいがある。

大学教員には、自分の掌で弟子達が暴れ回るのを微笑んで見てらっしゃるお釈迦様のような度量の広い方もいるのだが、中には自分の劣化コピー(敢えてこういう刺激的な言葉を使う)を見て喜ぶ、という人もいるから、要注意(表面上は似ていても、前者と後者はまるで違う)。僕は少なくとも、自分の劣化コピーを見て喜ぶようなメンタリティには陥りたくないと自戒しているつもり(僕が試験で「持ち込み」を許さないのは、僕の配ったプリントを丸写しにした「劣化コピー」が大量に発生するからであって、決して意地悪からではないんですよ、と学生諸君にこの場を借りて言い訳しておく)。