美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

啓蒙と自己決定の相克

小田中先生の本を読んでいて、こういうフレーズに行き当たり、昨日頭の中で「paternal」だとか「maternal」とか考えていたこととのシンクロニシティを(大袈裟だが)感じてしまった。

日本の個人主義 (ちくま新書)

日本の個人主義 (ちくま新書)

このフレーズは、中野敏男先生の本への批判から導き出されたものだが、なるほど、僕があの本を読んで感じていた「違和感」を、簡潔に小田中先生が表現してくれたわけだ。いわく、

他方で、総動員体制論は、どんな他者啓蒙の試みも、しょせんは自律を口実に「全体に奉仕する主体」をつくりだすにすぎない、というが、これまたなんとなくピンとこない。(p.109)

以前、京都に中野先生を招いての合評会が開かれ、僕も参加したのだが、丸山真男大塚久雄へのある意味仮借ない責め方に僕は「そこまで言うことないんじゃないのかな」と甚だ非学問的な感想しか持てなかったのだが、確かにパターナルな「啓蒙」と、自己決定の相克と考えれば合点がいく(中野先生は、戦後知識人の「啓蒙(パターナリズム)」の行き着く先を否定的に捉えたわけだ)。

大塚久雄と丸山眞男?動員、主体、戦争責任

大塚久雄と丸山眞男?動員、主体、戦争責任

まあ、飲み会の席でちょこっとそう言う感想をお話ししたとき、中野先生は「俺ほど丸山と大塚が好きな人間がいるわけないだろ。これだけ読み込んでるのに(笑)」とおっしゃってはいたけど。