美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

向き不向き

昨日、深夜にテレビをつけたら、ドミニカ移民のドキュメンタリーを放送していた(日本テレビ系「NNNドキュメント」)。この番組では何度かこの問題を取り上げているが、去年の夏、政府の決定により決着がついたので(控訴しない代わりに政府から謝罪と一時金を引き出した)、これがこの問題の完結編だそうだ。
親が泣く泣く起こした裁判を泣く泣く取り下げる息子達の無念、妻をドミニカで亡くし、自分は数十年ぶりに日本に帰ってきてアルバイト生活をしている人など、問題はまだまだ解決していないことをこのドキュメントでは強調していたと思う(その象徴的なシーンが、「生き残った」人達に、JICAが借金の督促をしたりしていシーンだ。「踏み倒し」はモラルハザードを産むとよくいうが、こういう人から取り立てる方がよっぽどモラルハザード(倫理的な意味で)だと思う。国レベルだと、アフリカの債務が思い出される)。取材されていたある人は、一種の自己破産の手続きを取ってJICAからの借金をとりあえず免除されるとのことだったが、彼が「私の人生はこれで終わり。これで、人様になるべく迷惑を掛けず、妻が眠るドミニカに埋めてもらっておしまい」と言っているのを見て、慄然とするしかなかった。「人様に迷惑を掛けず」「歯を食いしばって努力する」ような人々だから、ここまで辛酸を舐めても我慢し続け、このような事態にまでなってしまったのだ(国は彼らの「真面目さ」に付け入っていたのだ)。「私たちは、悪いことは何もしていないですよ。国も人も、嘘をついちゃ、いかん」と言っていた原告のお一人(既に鬼籍)の言葉が胸に染みる。
去年の2月にこの問題を知ったとき、取材に答える外務省官僚の、笑顔に隠れた責任回避振りに寒気がしたものだが、今回も例の官僚が出てきた(前回と同じ映像だと思う)。「法律論では法律論で(闘う)」「最初から謝れ、というのは話が別」との彼の答弁を聞いていると、「ああ、俺はこういう世界には向かなかったなあ」と思った。要するにウェットすぎるのだ、僕は。こういうのは、頭の良さはさておき、向き不向きだなあ、と思った。僕は単純に向いていない(そのまんま東氏は、向いているのか知らぬが)。