美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

多声的な記述

明日、京都人類学研究会というところで、米山リサ先生の講演があると教え子のOさん(現在京大院生)から聞いたので、慌てて読みかけのこの本をざっと読む。コメンテーターが岡真理先生ということで、ある意味余りにも「かっちりした人選だなあ」とちょっと苦笑。

暴力・戦争・リドレス―多文化主義のポリティクス

暴力・戦争・リドレス―多文化主義のポリティクス

そりゃ、スイスイ読める本ではもちろんありませんが、(失礼ながら)論旨はそれほど複雑ではない、という気がする。もはや決して一枚岩で語れなくなった「フェミニズム」や、様々な「証言」がせめぎ合い単線的な流れが描けなくなっている「歴史」の前で戸惑う自分を見つめるという流れは一貫しているので、これは僕も非常に共感できる。僕も米山先生や、もしくはバフチンの言葉を借りて「多声的」などという言葉を論文の中で使ったりしたし。
簡単に解決などできませんよ(白黒付けるなんてことはできませんよ)、ということを何度も言わねばならない徒労感というのは、正直言えば、僕にだってあるのだが、でも言わねばならないのだ。単純な歴史に回収されないためにも。

あと、ちょっと読んでいて思ったのは、米山先生、やっぱりカタカナ使いすぎ(笑)。ご自身でもそう書いているけど(p.115)、ちょっと苦言を言わせてもらえれば、わざわざカタカナにしないでもいい用語、もしくはぱっと判らないもの(僕の無知はさておき)も結構あると思う。注とかあればいいのになあ、と思った。例えば「アトロシティ(atrocity、暴虐)」とか「アジェンダ(agenda、ここでは「取り上げられるべき議題」くらいの意味かなあ)」、「レジーム(regime、枠組み)」、「チカナ(メキシコ系)」とかが、僕が念のため辞書を引いた言葉です。