美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

ちょっと違和感

体調があまり良くないから、深刻な話題は避けたいので、簡単なメモ書き程度で。
バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』、まだ実物を手に取っていないから何とも言えないのだけど、以下の記事を読んでちょっと違和感というか、残念な気持ちが。
http://macska.org/article/140
上野千鶴子先生(習ったことがあるので先生を使います)のインタビュー記事への批判なのだが、確かに、この記事を読んでいると上野先生の「脇の甘さ」のようなものもあるようだ。でも、批判するにしても、macskaさん、ちょっと言葉を選べばいいのに、とつい思ってしまう(特に最後のあたりの「男たちに一番認められて出世したのはあんただろ」「上野氏のページを全部破り捨てても(そこまでしなくていいと思うけど)」のような言い方は、ちょっとなと思う)。
(性的)マイノリティを無視してはいけないのは当然だ。その声も出来るだけ聞くように努力することも必要(僕はここでは、マジョリティの側に立っていると自覚しつつ書いています)。しかし、全てのマイノリティに気を配ることは、ほとんど不可能だし、マイノリティの言葉だから正しい、とは限らない。僕は上野先生の発言はそのような文脈で読めるのでは、と思う(なお、「ジェンダーフリー」の代わりに「男女平等」という言葉を使うと、性的マイノリティの問題が見えにくくなる、という指摘は当たっていると思う)。
数年前の僕の教え子で、インカレの某サークル(ゲイや性的マイノリティが集まるサークル)に入っていたのがいたのだが、彼女が一番このサークルで嫌だったことは「男の子が、私たち女を物凄くバカにすること」だったそうだ。ある意味ありがちな男性ゲイのミソジニーなわけだが、こういうのはゲイだろうがビアンだろうが、ストレートだろうが、端的に許されない態度、人間としてダメな態度だろう。僕が上記のエントリを読んで思い出したのは、この教え子の体験だった。僕は上野先生の、macskaさんに「ホモフォビア」と評価されている発言は、ある意味真っ当な要求であるとすら思う。

macskaさんのおっしゃることも判るつもりだ(一部理路が良く理解できないところもあるが、それは僕の知識不足だろう)。でも、上野先生を責めるのに急なあまり、「産湯と一緒に赤子を流す」の観が、どうしてもぬぐえない。
あと、こういうことを言うとヘタレとか逃げ腰と評されると思うけど、僕は「運動」においては、「大同」について、「小異」にはとりあえず目をつぶる、ということも重要だと思う。要するに「内ゲバ」が嫌いなのです、僕は。フェミニズムもそうだし、あと僕がちょっと関わっているのでは、日韓関係や平和運動も、間口を大きくしないと、といつも思う。「あいつはこの辺がダメだから全部ダメ」という考えは、不毛だし、もったいない。ただそれだけなんですけどね。