美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

『「ニート」って言うな! (光文社新書)』読了

電車の中で読了。簡単な感想をメモ。
1)本田先生の部分は、非常に判りやすく、納得。こういうデータを扱っているからこそ、たとえば内田樹先生のような、良くも悪くも文学的な推論が気に入らないのだろうと判った。やっぱ、上部構造(心理主義的還元)より、下部構造(若年層の雇用環境)ですよね、問題は。僕なんか、ついつい上部構造を分析する癖のある人間だから(宗教学者ですから)、内田先生的な分析や、心理的なものへの言及にも、ついつい心惹かれちゃうんですけどね。

2)内藤先生の部分は、僕は実際の内藤さんを知っているだけに(一年だけゼミでご一緒した)、ついつい彼の相貌を思い浮かべて読まざるを得なかった。この部分は、「凶悪系言説」「なさけな系言説」「いいがかり資源」とか、まあ身も蓋もないですよね、合っていると思いますが。世の識者のメチャクチャ振りをぶった切っていて、爽快。メラニー・クライン流の「投影」理論は、実はいまいち良く飲み込めていないのだが、いじめや差別のメカニズムとして、肯かされるところ多し。

3)後藤和智さんの部分は、良くも悪くも彼の「若さ」が出てしまったな、という印象。「若者に理解のある・同情的」な発言は善、若者に責任を負わせているものは悪、と、ある意味分かり易すぎる二項対立図式が気になった。もちろん、たとえばこれほどの卒論が出てきたら、花丸つけて優を出しますが、上記のようなツッコミは口頭試問でするだろうな。「もっと細かく見ていけば、グラデーションってものがあるんじゃないの?」とか。
であるから、彼も引用している渋谷望氏のように「何故中産階級はかくもニートに冷淡なのか」ということまでつっこめたら良かったのにと思う。ただ断罪するだけじゃなく。僕なんかは、ここでやはり上部構造たる「意識」の問題、要するに自分が拠って立つ「勤勉さ」へののめり込みが、ニートへの憎悪に結びついているような気がする。自分自身がそれに裏切られ続けているにも拘わらず、怠け者(に見える者)を目にすると、どうしようもなく腹立たしい、というような。

あと、ここからは自分自身に対する反省になるのだが、僕は「ニート」という言葉を聞くと、どうしても「大学は出たけれど・・・」というような、比較的高学歴なニートを想像してしまいがち。これは僕が大学の外部を知らないからだろう。
あと、僕なんか、いじめられた恨みってわけじゃないけど、ヤンキー的な文化には一切馴染めなかったから、「都市下層民」に対する想像力がなかったことは、虚心坦懐に認めねばならないところだろう。