美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

文学部男子の憂鬱

今日は、前からファンの高田里惠子先生の新刊を読みふけってしまう。相変わらずのおもしろさ(僕のような文学(部)青年にとっては)。高田先生は、なぜこうも僕のような人間のマゾ心(これがある「特権的意識の裏返し」であること自体、高田先生に指摘され、僕もそれを自覚しているというのに)をチクチク刺激するのか(笑)。

失われたものを数えて---書物愛憎 (河出ブックス)

失われたものを数えて---書物愛憎 (河出ブックス)

ドイツ文学という、言ってしまえば斜陽と言われている「業界」に身を置く高田先生は(まあ、文学部自体が斜陽なんだけど。僕にとっても他人事じゃない)、ご自身もその一人である「大学の教養教育の語学教師」というのが、実は近代日本においてはある意義を有していたのではないか、というのを、東大独文科を中心にして振り返っている。この本も、今までの本と同様、言ってしまえば「大衆化」と「教養の崩壊」問題を取り扱ったもの、といえるのだが、同業者集団・エリート男性の「ホモソーシャリティ」をあげつらっても、それはもう当然だったんだから(大学に男子しかいない時代が長く続いたんだし)それはさておき、教養の語学の講義を通じて「先生の先生(例えばある先生にとってのゲーテとか)」に触れる機会が失われた、というのが結構外国文学業界のみならず日本の大学には痛手だったんでは、ということをこの本では主張しているように思われた。
あと、「第3章 理科系男子に支えられ」では、西洋文学の専門家にならずとも、西洋哲学・文学に通じ、しかし決して「文学青年」のように入れ揚げない静かな読者だった「理科系男子」の存在が重要だったのでは、という指摘には膝を打った。日本では、高田先生が指摘するように、文章も上手く、文学的素養にあふれた理科系研究者が非常に尊重されるが(逆って言うのはなかなかいないしね)、僕の「できる理系」のイメージも、一言で言えば「文学部的な営みを馬鹿にしない」ということに尽きるんだよな(笑)。以前、ある理系の同僚が会議の場とかで「(文系とは違って)我々はデータとか証拠を重んじますので」とか、それこそお前文系の学問なめんなよと思わざるを得ない発言をしたりするのを目撃して失望することもあったので、教養ある「理科系青年」はまさにあらまほしき存在(個人的には、何人か知ってる。主にサークルの仲間たちだが)。もちろん、文系も教養があってほしいのは言うまでもないけど。
あと、高田先生も、四方田犬彦先生の『先生とわたし』に言及しておられたが、僕も全く同感(僕の感想はここで書いた)。
ここからは僕の思い出話になるが、僕が「この語学教師の先生、凄いなあ」とそのオーラに感染(電)した、という経験は、柴田元幸先生くらいだったかも。半期の短い時間だったが。当時先生はポール・オースターとかミルハウザーの翻訳を矢継ぎ早に出されていた頃で、そういうのに敏感な同級生は、出たばかりの翻訳書を先生の元に持って行って、あの特有の丸っこい字でサインをしていただいていた、と記憶している。
ちなみに、僕が文学部に進学したときの学部長が、高田先生の指導教官であった柴田翔先生だった。僕などは「あれ、芥川賞作家と同じ名前の独文学者か」と思うほど、まさに「教養」がなかったのだが(まさか、芥川賞を取ったほどの人がそのまま学究生活を続けて、東大文学部で教鞭を執っているとは思わなかったので)。
追記:高田先生は「なぜかドイツ文学は、元々文学部でなかった人が転科してやってくることが多い」と書いているが、確かに、僕の同僚も元々学部は経済学部だったり、もしくは農学部だったりしたよな。不思議だ。高田先生は「人生に迷った」青年が「ビルドゥングスロマン」(ある種の「臨床文学」)の本流たるドイツ文学に来るのでは、と示唆されている(pp.15-18)。ただし、高田先生は柴田翔(元々理系)先生は自分の「転向」に意味づけをせずクールな態度を取っていたと証言しているけど。