美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

enablerとしての教師

今日も終日卒論指導。面接が終わると、それを待っていたかのように、他の学生からメールで途中経過が届く。「どこまで続くぬかるみぞ」って感じ。
でも、このような泥沼且つ泥縄的状況になったのには、僕にも一端(以上)の責任がある。要するに学生たちに「できたら持ってきてね」「いつでも良いよ」と行き当たりばったりの指導をおこなったツケである。同僚を見てみると、ちゃんと期日を決めて草稿を提出させ、アポイントメントを取り、中には「面接相談は二回まで」と制限を設けている先生もいるくらいだ。僕もそうすればよかったけど、後の祭り(来年度は見習おうかと今から思っているが)。
ここで思い出したのが、いわゆる「共依存」の分析で言われる「イネーブラーenabler」という存在である。例えばアル中のパートナーに寄り添って「あの人、私がいないとダメなのよ」とついついお酒を買ってきてしまう例などが典型的な共依存のイネーブラー(そのような状態を可能たらしめる者、という意味)なわけだが、僕も「あの子たち、僕がいないとダメなんだよなあ」と思ってついつい甘えさせ、ついでに彼らに「頼られている」感覚(結構この感覚が心地よいことは皆さんご存じの通り)を味わってしまっていたという反省がわき起こる。講義とか雑談で、共依存も含め、精神分析的な話題を適当に話すことの多い僕だが、実生活がまさにその実例になっているんだもんなあ。笑えない事態だよな。
まあ僕は、大学教員というのは、「全人的な関わり」、すなわち上手に甘えさせるテクニックが必要な商売だと思っている。今回、僕の甘えさせるテクが下手くそだっただけだよな。