美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

国家が宗教的情操教育、とか言うとき

は非常に危険だし、今、既に危険な状態になっている、という趣旨のN田先生のご発表だった(先生はこの手の問題に、常に先頭に立って闘っておられる方なので、発表内容は予想がついたが、ちょくちょく触れる「裏話」がえぐすぎ)。まあ、国家や教育委員会の教育現場過剰介入の問題ですね。
日の丸・君が代問題は、最近では東京都の事例で地裁判決が出たりしたが、「少年犯罪は増えている」というデマを流して、「教育基本法が諸悪の根源」という脳内理論を垂れ流す国会議員とかって、多いからなあ。ブログで嘲笑することはいくらでもできるが、実際、そういう人物によって今回の安倍内閣で、教育基本法をいじるという自慰的施策が行われるかも知れないし、まさに眼前にある「危機」だと僕も思う。
N田先生のご主旨には全面的に同意なのだが、それをどう下の世代に伝えていくか、というのは難しい。「道徳を学校で教える、別にいいんじゃない」という反応が普通のモノになりつつあるからだ。いまは『こころのノート』の問題もあるしなあ。気が重くなる一方だ。
夜は打ち上げ&懇親会。そこで弁護士のH先生から、「こころの問題」に関して、けっこうえぐいお話を聞く。それは、H先生が国選弁護人としてついている某殺人犯に関してのお話。確かに、その話を聞いたときには「日本は病んでいる」と思いたくもなるけど、そこはぐっと我慢。一般化の誘惑(「日本人は〜」「最近の若者は〜」「全共闘世代は〜」など)にできるだけ抵抗するのは学者の務めだと、けっこうマジで思っている。