美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

「世代論」「世代間格差」について(もしくは他罰的な言葉遣いについて)

昨日、若い友人と喋りながら考えていたのだが、僕は既に「おっさん」(この「おっさん」という言葉はもちろん、実際の性別とは関係ない。ただ年上世代、という程度の意味で使っている)の領域に片足を突っ込んでいる、ということを実感してしまった(笑)。今年一つ年をとり、四捨五入すれば40歳になるわけだし、当たり前、といえば当たり前なのだが、これは「こんな世の中になったのは年長世代のせいだ」というような形の若者側の非難を、僕も受けざるを得ない年齢に近づきつつある、ということである。
僕は、内田樹先生が言うほど、フェミニズムは「他罰的」な用語を使用しすぎた、とは思っていないけど(最初期はそうだったかも知れないが、最近はそれこそ内田先生が解説するレヴィナスがいう「女性的なるもの」の価値を見直す方向に進んでいるのではないか?)、「最近の若い者は・・・」というおっさんの若者ハラスメントと、「これだからおっさんどもは・・・」「団塊の世代は・・・」という若者側の反論を見ていて、どちらにも感情移入できるし、どちらに対しても「何言っているんだか」という気持ちが同居してしまう。まあ、おっさん側の若者ハラスメントの方がトンデモが多いから、それを批判する方にまだ肩入れしちゃうんだけど。
だから、「コウモリ」と呼ばれるかも知れないが、両方に通じる言葉遣いを模索していきたいな、と個人的には思っている。