美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

シンデレラじゃない

自分が教えるのにぴったり、向こうも教わるのにぴったりという学生は、そうはいない。大体「近似値(消去法、といっても良いかも)」で学生も、教師もお互いを選ぶ。当たり前の話だ。ゼミ選択しかり、卒論指導しかり、修論指導しかりだ。シンデレラの靴のようにぴったり、という幸福な例はほとんどないだろう(僕の場合は、先生の側から見れば頼りない弟子だったが、先生は我々教え子に「靴」を選ばせるのがお上手な方だったと思う。僕の側からすれば幸いだった)。
また、教師とほとんど同じことをする学生も、教師を超えるのがまず大変だし、教師の側も、言っちゃ悪いが自分の縮小コピーのような学生を見て、嬉しく思わないだろう(そういうのを周りに侍らせるのがお好きな人もいるかも知れないが、それは脇に置く)。
教師の側としては、自分の持っている「シンデレラの靴」を後生大事にするあまり、学生の踵を無理矢理削るような真似は、慎むべきだとは思う。理想論かも知れないが。自戒を込めて。