美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

「テロ」なんかではなく「無理心中」

八王子でも、「誰でもよかった」とわめいて人を殺したのが出てきてしまったが、こういうのは、津山三十人殺しの時から同じで、要するに、「無理心中」。
もちろん、自爆テロも通り魔も、犠牲になる人にとっては大きな違いはないが、自爆テロには「私の屍を乗り越えて前に進め」というような訴えが背後にあることが多かろう。古典的な考えだが、こういう「自殺」は、デュルケームの『自殺論』の「集団本意的自殺(suicide altruiste)」という概念を思い出させる。でも、一連の「通り魔」にはそのようなものを見出すことは困難だ。
というわけで、秋葉原の事件も、今回の八王子の事件も、広い意味で「社会への復讐」というのが読み取れるかも知れないが(特に加藤容疑者の雇用状態などは同情の余地があるかも知れぬが、際限なき同情は同情ではなくなる)、僕はそこまで彼らの意を忖度してやる必要はないと判断する。