美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

人と人との関係

id:june_t先生からトラックバックをいただいたが、大学の講義の情報(楽勝度が最重要項目だろうが)を集積するサイトについて、ちょっと考えたことを。
こういうサイトができるのは、時代の趨勢だろう。インターネットという便利なツールが目の前にあるのだから、それを利用するのは、ある意味当然だろう。ネットというのも、不特定多数の人から情報を得ることができるし、情報提供者の心理的負担も少なかろう。しかし、教育する立場の者として、敢えて古くさいことをいいますが、参考にするのはいいですが、こういうサイトの情報を鵜呑みにしたら、やっぱだめですよメディア・リテラシーという流行りの言葉を使っても良いが、要するに、「人の話を「話半分」に聞くことができること」がメディア・リテラシーなのだから。もう少し、疑う心も持ちましょう。
実は、直接的な人的交流の方が大学という現場にはふさわしい、と僕はある意味愚直に思っている。もちろん、僕も学生時代には先輩や同級生から、大学の色んな講義の情報を入手し、参考にしていた。先輩からもらった「オリエンテーション・パンフレット」には、ちゃんと教官の「鬼・仏評(表)」なるものもあったと思う。しかし、僕たちは、その情報を発する人間の「人柄」を勘案して、その「鬼・仏評」を判断していたと思う。つまり、信用できる人間からの情報か否か、ということだ。だから、「口コミ」は当たり外れが少なかったと思う。しかし、ネット上の無責任な情報だけで判断すると、ひどい目に遭うことも増えそうだ。逆に、実際出てみればいい講義かもしれないのに、ネットでの噂だけで判断して、受ける事すらしない、なんていうのはもったいないと思う。まあ、本は素晴らしいけど、講義はイマイチ(人格も以下略)、という先生もいらっしゃったが(「これなら、独りでこの先生の本を読んだ方がいいや」と見切ってしまった講義もままあった)。
また、ネットは、求める情報は出てくるかもしれないが、それ以外の、自分の想像の埒外のことについては、ほとんど教えてくれない。これも、ネットの欠点の一つだ。シラバスの分厚い冊子をパラパラと見ていると「へえ、こんな科目もあったんだ」と発見することがある。シラバスを見るだけでも、自分の知らない世界というものがかいま見られるし、大げさにいえば、自分の殻を壊すきっかけとなる。これこそ、大学らしい「知の見つけ方」だと、僕は思う。