美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

森岡正博『感じない男』ちくま新書、2005

「最近どうもおかしい(さかっている)」と言われるちくま新書ですが(笑)、この本はどうしたものか。読んじゃったけど。ここまでカミングアウトすることに、いかほどの意味があるのか。他人事ではなく自分の問題として、自分のセクシュアリティを語りそこから問題を紡いでいく、という姿勢は良く判るのだが、これこそフーコー先生が言うような「性の告白」という装置に駆動されたものなんじゃないの、という思いはぬぐえず。それに「語った者勝ち」という雰囲気を作るのは、良くないと単純に思う(要するに「俺は本音を語った、お前も本音を話せよ」という要求にすぐ転化してしまいかねないので)。

「射精はそれほど気持ち良くない=男は女に比べて損をしている(セックスの快感は女のほうが深い)」というのは良く聞く話だが(信憑性はともかく)、僕は、確か内田樹先生経由で知ったレヴィナスの官能論―「自分が相手にとって官能の源泉になっていること」が愉悦の源(要するに相手に「欲望」されていること)、という説(だったと思う。後で確認)―に大いに納得させられたので、それ以上深く考えたことはなかったのだけど。

で、ちくま新書の戦略に乗って、明日からは『「人妻」の研究』(堀江珠喜著)を読む予定の僕も僕だが(笑)。だんだんセクシュアリティ研究に興味が向いているなあ。ちゃんとやろうという計画はまだないけど、カミングアウトはあまりしたくないな。何歳頃から「人妻」という言葉に反応するようになったか、と周りの男どもに聞いて回るというのは、個人的には興味深いけど。