美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

大きな質問と図書整理

今日は久々の基礎ゼミ。今、高原基彰氏の『不安型ナショナリズムの時代―日韓中のネット世代が憎みあう本当の理由 (新書y)』を読んでいて、今日は韓国に関する章ということで、僕もついつい話が長くなる(なんたって、僕は朴大統領の暗殺時韓国にいて、光州事件の時の戒厳令も体験済み)。
つらつらと韓国の反共ナショナリズムについて喋っていると、K西さんから思わぬ大きな質問が。曰く「ナショナリズムが何種類にも分けられて書いてありますが、ここのナショナリズムって一体どんなものですか」。一瞬僕も固まる。ついついB.アンダーソン的な話を展開してお茶を濁してしまう。でも、アンダーソンの理論が幕末維新期の日本に適用できるかは、結構疑問なんだよね(機械的な適用は元々無理だってアンダーソン自身も思っているだろうけど)。この前、近世史の同僚M本先生と雑談をしていて、日本という自意識の発生は近代を待たずして既に近世に存在していたのではないかとか、流通網の発達で既に「出版資本主義」に近いものが醸成されていたんではないかとか、幕末に藩益の衝突が顕在化することによって、却ってそれを止揚する形で国益ナショナリズム)が出てきたのではないかとか、そういうことをしゃべっていたのだ。
授業が終わると、図書館から僕が購入した図書の整理が終わったとのお知らせ。図書館の方に運んでもらい、学科図書室に無理矢理スペースを作りねじ込む。