美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

付け焼き刃

明日の研究会では、カサノヴァの「公共宗教論」を枕にちょこっと喋ろうかと思っていたのだが、やはり難物。読み返しているが、さっぱりだ。難しいぜ。

近代世界の公共宗教

近代世界の公共宗教

“公共宗教”の光と影

“公共宗教”の光と影

訳者の津城先生の論文や解説を読むと、一瞬判った気になるのに、何故現物に戻ると判らなくなるのか、自分の脳味噌の鈍さに腹が立つ。市民宗教も公共宗教も、精神分析でいう「無意識」とか「リビドー」「トラウマ」などと同様に、「そういうものがあると仮定すると世の中の現象の説明がスムーズに行く」という類の、いわば足がかりとなる仮設的概念のような気もするのだが、アメリカの事例とか、戦前の日本とかを見ていると「実在している」といいたくもなるしなあ。