美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

どういう反論が有効なのか考え込む

昨晩は、深夜に長電話したことと、そのあと風呂に入ったせいで神経が高ぶったのか、眠気がなかなか来ずに、夜更かししてしまった。
もう一つ神経が高ぶった原因は、色んなブログをうろうろしていて、いくつかのブログのあまりに独りよがり且つracistic(はっきり言ってしまおう、「人種差別主義者」だ)な主張を見てしまったことだ。その対象として、このところ中国・北朝鮮・韓国の三ヶ国がターゲットになっている。でも、その言説は、トートロジー(循環論法・同語反復)になっていることに、どれだけの人が気付いているだろうか。簡単に言うと、例えば「中国人はそう考える民族である。なぜなら彼らはそう考える基本的傾向を持っているからだ。それは彼らがそう発言したことから判断できる」といった類の循環論法である(真ん中がミソです)。

まあ、低俗な憂さ晴らし、ゴミクズのような落書き、と切り捨てることも可能だろう。でも、あまりに酷いと、何か論理的に「ガツン」と言って黙らせてやりたい気がするのも確か。それで、彼らのような意見に対する反論をうまく言ってくれているブログを探していて、「おお、これは」と膝を打ったのが、swan_slabさんの以下のエントリ。

http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20050526/p1

しかし、この批判を唱えるひとの多くはアジアの戦争犠牲者や旧連合国捕虜たちからの補償要求を日本側で拒絶する論理としてサンフランシスコ平和条約とその後の各国との諸条約を持ち出す傾向があるという。改めで検証したわけじゃないが、そのような自己撞着に陥っていてなお無自覚な論者は少なくないであろう。

うかつだが、僕もサンフランシスコ条約を全部ちゃんと読んだりはしていなかったので気づかなかったが、東京裁判(および東京裁判史観)を拒否しつつ、「東京裁判を認めること」を大前提としているこの条約に乗っかって反論している人の撞着ぶり、というのは改めてみると、酷いものだ。彼らが「条約」を盾に取るなら、このあたりをつつくのは有効だろう。

最近日本の過去を肯定する議論に目立つのは「当時の国際法上認められていた」「条約で解決済み」というのが典型例だが、ともかく法や条約に則っていた、という議論の建て方だ。韓国併合も、戦後補償も「合法的」であったりすでに「解決済み」とされるわけだが、僕などから見ると、例えば韓国併合の条約などは、やくざが武器をちらつかせながら「ここにはんこ押せば、楽になるでえ」(やっぱり関西弁の方がしっくりくるな)と脅して押させたようなものだと思う。戦後補償にしても、もちろん国同士の取り決めを無視していいわけではないにせよ、それに対しての「反論」を言う自由は、憲法上保証されている。国同士が決めたのだから問答無用で黙っていろ、ということはできない。

僕は都合の良いときだけ「合法」という言い訳を持ってくるやり口を、勝手に「合法非道」と呼んでいる。強者の論理だ、要するに。戦前の帝国主義国家はほとんど「合法非道」だったと思う(国際法というのが、言ってみれば帝国主義国家同士の紳士協定であったわけだから)。

そして、そのような恥ずかしい「紳士協定」を再び持ち出すことに、僕はいらだつのだ。