美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

あるかもしれないけど

今日は天気も悪いので、家で読書。読みかけのこの本をとりあえず読了。

透視も念写も事実である ――福来友吉と千里眼事件

透視も念写も事実である ――福来友吉と千里眼事件

これは「千里眼事件」で東大を追われた福来友吉の伝記。この著書も、福来同様「透視も念写も事実である」という立場から書かれている。僕もそういう能力はあり得ると思うけど、そういう能力が人生観を揺るがすかと言えば、そんなことはない。思い込みで病気が治ったりする「プラセボ(偽薬)効果」など、人間の心が現実に影響を与える、ということは充分あることだけど、それだからと言って唯心論者にもなれない。
さて、本文に引用されている当時の新聞記事がなかなか面白いのだが、印象に残ったのは以下の記事(p.228)。

●学者迫害さる
▽喜田、三上、福来諸博士
世に弥次馬と称する種族あり、性事を好む、いやしくも機の乗ずべきあれば、たちまち噴起して、強いて国賊兇漢の称号を与え、滅茶苦茶に迫害を試みるなり。過ぐる戦時において彼らはしばしばその自得の特権を施行したり。近時いわゆる大逆事件に際しても、また決してこれを怠らざりき。最近南北朝問題に際して議論の矢面に立ちたる喜田博士の如きもこの恩典を辞するを得ず、聞くが如くんば博士は天誅云々の来書に接すること頻々たるのみならず、その愛児小学においてしばしば迫害を受く、曰く兇賊の子なりと(後略)。(『東京朝日新聞明治44年3月5日)

この記事は「千里眼」で迫害された福来、「南朝正閏論争」で迫害された喜田貞吉らの弁護記事なのだが、こーゆーの、今でも通じるよね。