美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

赤裸々

猫猫先生が褒めていたこの本、通勤電車の中で読了。

「俺も脱ぐからお前も脱げ」と言いたがりそうな、赤裸々大好きの猫猫先生が褒めるのもむべなるかな。僕もここまであからさまに体験談を書いているとは予想していなかった。
でも、ちょっと残念なことは、参考文献や参考URL(出会い系サイトは除く)が全くなかったこと。体験談が90数パーセントの本だから、細かい脚注などは不要だが、例えば、

ゲイであるということは、性行為の相手に男性を選ぶということだけではけっしてない。戦前のアメリカでは、同性の相手と性行為をすることとゲイであることは同義ではなく、異性愛者として「普通」の生活を営んでいる男性が、時々売春夫と性行為をすることはそう珍しくなかった。そうした人たちは、自分のことを「ゲイ」とは思っていなかったし、「本物」のゲイの人たちからも、ゲイとは見なされなかった。一九四〇年代頃から性に対する意識や規範が変化し、性的アイデンティティが「異性愛者」対「同性愛者」というはっきりした二項対立で定義されるようになり、また、性行為と性的アイデンティティが同義で考えられるようになって、「ゲイ」という言葉のもつ意味はかなり変化した。(p.116)

なんていう記述があるのだが、こういう箇所にはせめてカギ括弧でその典拠となる本くらい書いて欲しいと思うのが学者のさが。あと、もうちょっと「社会学的」な解釈(もちろん、ご本人も個人的な体験を敷衍して大きな事は言えない、と断っているが)も散りばめてもよかったのではないか。というわけで、面白く読めたが「学者」の部分を期待していた僕にはちょっと肩すかし。