美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

安易な代弁だけは慎む

昨日、袴田事件の再審要求の抗告が最高裁で棄却された。この事件について昔から知っていたわけではないが、強引な自白強要や、袴田氏の境遇、一審で関わった元裁判官の「懺悔」とも言える証言を見聞きするにつれ、これは冤罪の疑いが濃いと個人的には思っている。
そして今、タイミングの悪い(?)ことに、電車の中で読んでいるのが森達也さんの本なので、色々考えさせられる。

死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う

死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う

良く「殺された人やその家族に身になって考えろ」という言葉が聞かれる。なるほど、確かにそうだろう。だが、そんなに安易に遺族の気持ちを代弁することなどできるのか?森さんのこの本にも紹介されているが、弟を殺された原田正治さんという人は、その犯人と何度も手紙のやりとりをするうちに死刑廃止論者になった。その署名活動をしている時、道行く人から上記の言葉を掛けられて、グループの一人が「彼はその被害者遺族です」と言ったらバツの悪そうな顔をして走り去った、というエピソードは象徴的だ。
弟を殺した彼と、僕。

弟を殺した彼と、僕。

彼を勿論全ての代表にするつもりもないが、感じ方は当たり前だが「人それぞれ」としか言いようがない。僕だって、身内や親しい人間を殺されたら、その犯人に対して焼け付くような憎悪を感じることだろう。
ただ、繰り返しになるが、安易な代弁をすることだけは、慎みたい。それだけだ。