美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

冷笑と毒舌

昨日、藤森かよこ先生の毒舌ぶりに触れたが、つらつら考えてみるに、僕はやはり人間が甘ちゃんなので、毒舌癖の人は好きだし大丈夫だが(毒舌癖の人は、たいていは情が濃い)、冷笑癖のある人というのは苦手だ、という凡庸な結論に落ち着いた。
故に、何人かのブロガー(僕はやはり同業者たる研究者のブログを読むことが一番多いが)で、その頭の良さは伝わるが、「愛」が伝わってこないものは、だんだん避けるようになってきた。アンテナに一時期入れていたのを外したりしたのは、そういうこともあります(全部ではないけど)。
あと、毒舌は自虐と相互性の要素の多分に含んでいる、というのも重要だと思う。毒舌を吐く人は、冗談コミュニケーションで友人に毒舌を吐かれるものだし(そういう関係を「親友」と僕は呼ぶけど)、自虐できるくらい自分のことを客観的に見れない奴の毒舌なんて、面白くもないし、毒舌とは言わない。それは単なる「悪口」。
一方「冷笑」というのは、とりあえず高みに立つのに便利なやり方だから(内実が無くたって「ふふん、まだまだだね」と一言言えば済む)、そういう安直さも僕が「冷笑」を気に入らない一因だろう。要するに定型的なレトリックの勝負なんだよね、冷笑って。

やっぱ、愛だよ、愛。