美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

姑根性(or 下士官根性)にならないように

最近、桃山学院大学の米文学教授藤森かよこ先生の存在を知り、彼女の罵詈雑言抱腹絶倒的エッセイの数々を楽しませてもらったのだが、ちょっと自戒を込めて思いついたことを。

彼女の毒舌は、勿論好き嫌いがあるだろうが、ここまで来るともはや「才能」と思う。いくつかのあまりに乱暴な断定や暴言に僕も「はあ、何言ってんの」と感じた部分はあるのだが、アジテーションとしてここまで圧倒的だと脱帽の他無い。もしも僕が女子大生で、彼女のこういう調子の講義を聴いたら一発でファンになるだろう事も容易に予想できる。
僕も最初から「私は口が悪い」とエクスキューズしてから罵詈雑言を吐いたり、「・・・といっても過言ではない」と言いつつ過言なことを言ったり、「と言わざるを得ない」などと言いつつ言わなくても良いことを言ったりすることもあるけど、彼女の域には到底達することはできません。まあ、人間性の問題ですね。僕は素直に愛されて育てられすぎた。藤森先生が言う真性の「マザコン青年」だからだろう、と自己正当化しておく。

ただ、彼女のリバタリアン的というか(彼女の贔屓しているアイン・ランドという作家兼思想家は、そういう流れの人だったそうです)、自力救済主義は確かに「正論」なのだが、下手をすれば「私も頑張ってここまで来たんだから、あんたたちもそういう風にやれ」と脅す、悪い意味での姑根性というか、下士官根性に容易にドッキングしてしまう可能性があることに注意しなければならないだろう。それは、簡単に「利敵行為」にもなるからね(いわゆる「暗い道を歩いていた方が悪い」理論ですね)。もう少し「弱さ」が許される世界を目指すのもフェミニズムなんじゃないの、とふやけた坊ちゃんの僕としては思うのであります。