美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

「モテ」「非モテ」論争

ブログ界を今のところにぎわせている「モテ」「非モテ」問題、僕としては、もちろん興味はあるのだけど、結局のところ「非モテ」との自己認識を持つ者が、どのような自己肯定に至れるのかというところをぐるぐるしているだけ、という気がしているのも事実(本田透氏の本は、まさにそういう本だ)。僕は、ある意味きつい言い方だが、そこにある種のねじれたナルシズムまで感じてしまう。
そもそも「モテ」と言っても、複数の人に言い寄られるというより、異性と適度なコミュニケーション、もしくはスキンシップ(これ大事)を取れる人のことを「モテ」と言っているだけのような気もするし。もしもそうなら、この「モテ」は、それほど非難されるような存在ではなかろう。まあ、DQNと等号で結べるような連中なら別だが。
「他者」とどれだけ向き合えるか、なんて言うと大上段な言い方になるが、「非モテ」との自己認識を持つ人は、もう少しその点を考えた方が良いように思える。