美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

「モテ」「非(避)モテ」問題

鈴木謙介さんのエントリが示唆的。
http://www.asvattha.net/soul/index.php?itemid=444

これが困るのは「駄目」なのはあくまでも「自分」であるため、その問題が当人にとって切実であればあるほど、その人が孤立化するということだろう。駄目を笑い飛ばすアイロニーがあればいいのかもしれないが、そうはならないので、彼らは自分を陥れようとするセカイから退却するか、ひたすら呪詛の言葉を吐き付けるしか手段が見いだせない。むろん、放っておいて欲しいのにそれを許してくれない、ブログ時代のウザさ、っていうのもそこにはあるのかもしれないが。

「俺はそんなこと(恋愛)に拘り(関わり)たくはないんだ」という言葉のうちに、既に過剰なほどの拘り(関わり)が存在しているというか、憎しみも愛情も、過剰に相手のことを思うという点で似てしまう、というか。
本田透さんの『電波男』だって、現実の女性を呪詛しているのは、本田氏が「恋愛は素晴らしいものである」というイデオロギーにどうしようもなく囚われていることの証であり、まさに「純愛(恋愛)至上主義者」の面目躍如、といった本だったしね。ところどころの分析は、光るものがあり僕は評価しているんですが、この本。
で、その続編とも言える本も、さっき注文しちゃった。読むのは後でだが。

電波大戦

電波大戦