美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

「妹の力」はやはり再考が必要

今流行の妹萌えとか、そういう話題とは全然関係ありません(笑)。研究室でちょっと一仕事を終え、読みかけの以下の新書を読了。

つくられた卑弥呼―“女”の創出と国家 (ちくま新書)

つくられた卑弥呼―“女”の創出と国家 (ちくま新書)

我々は「魏志倭人伝」の卑弥呼の描写から、ついつい古代全体に「シャーマンとしての女性・実務担当者の男」というロマン(ヒメヒコ制)を描いてしまいがちだが、義江先生のこの本は、そのような固定された古代の「性別役割分担」に疑義を唱えるもの。要するに、屋敷の奥で神の声を待つのではなく、実際に政治のトップに立った女性たちも、ヤマト側、「征伐」されたクマソや土蜘蛛のような人々双方にいたことが、記紀や『風土記』を虚心坦懐に読めばほの見えて来るという。ちょっぴり古代のロマンティシズムを破壊されたような気になっちゃったけど(知らず知らず、僕も「折口病」とでもいうべき病にかかっていたか?本書では、東洋史の二大巨頭内藤湖南白鳥庫吉の「卑弥呼論」が俎上に挙げられているのだが)、納得のいく論の運びだ。男女の共同統治、という「ヒメヒコ制」は、ついついフェミニズム的にもロマンをかき立てられちゃうんだけどね。僕の大学の近くに鎮座している下鴨・上賀茂神社も、柳田の「妹の力」の元ネタになった「タマヨリビメ・タマヨリビコ」伝承があるし。

古代女性史への招待―“妹の力”を超えて

古代女性史への招待―“妹の力”を超えて

そういえば、この本を買ったまま積ん読にしていた。忘れてましたよ。これも入門書だけど、続けて読むことにするか(こうして、本業が疎かに・・・)。