美徳の不幸 part 2

Pity is akin to love.

追悼論の予習・復習

明後日から韓国に学会出張だが、僕が司会を担当する部会は、日韓の「追悼問題」をテーマにする予定。
ということで、二年半前に行われたシンポジウムを元にした本を読んでいる。今は「靖国参拝」ばかりが取りざたされているが、ちょっと前は、新しい追悼施設をつくるかどうかの諮問懇談会を政府が置いていたんだよね。

新しい追悼施設は必要か

新しい追悼施設は必要か

様々な立場の人から、「追悼」をめぐる意見が交わされている。印象に残った言葉を少し引用。カトリックの立場の発言だが、

地上の宗教的問題に関して、語弊を恐れずに言えばおよそ悪行の限りを尽くした先達たるカトリック教会が、自分の歴史をいかにして反省し、さらに謝罪するのか。この問題は、一見靖国問題や新しい追悼施設と関係がないように思えます。しかし真理、神への帰依を一方で勝義の務めとする宗教団体というものが、他方でいかにそこから距離をおいた視点を確保するかという課題は大きな文明論的なテーマなのです。(p.71)

「絶対と相対」のすりあわせ、というとスケールが小さくなってしまうが、「宗教は果たして追悼に関して発言する権利を持っているのか」というほどの、厳しい問いかけだとも思う。